sakigake news

69年後に消滅するであろう、秋田県の中の人が書くブログです。

「死にたいなら一人で死ね」よりも「中高年のひきこもり」をどうするか?

 

 

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川崎殺傷事件で、殺人犯に対し「死にたいなら一人で死ね」という発言について

落語家の立川志らく氏は、Twitterでこのように投稿している。 

 

自分が被害者側の親の立場だったら、犯人に対して「一人で死ね」と当然思うし、それだけにとどまらず犯人に対して殺意すら抱くであろう。

被害者側の関係者でなくても、一人の人間として、犯人に対して、死ぬなら人に迷惑をかけずに一人でそっと死んでほしい、と思う。

 

これに対し、ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は、Twitterで以下の投稿をしている。

 

「一人で死ね」の前に「殺すな!生きろ!」がなぜ言えないのか?

たぶん、それは、事件が19人死傷という非道極まりない残虐性の高さから来るものであり、もうすでに死傷事件が現実に起きてしまったからだ。

「殺すな!生きろ!」は、死傷事件が起きる前にかける言葉ではないだろうか。

もうすでに、起きてしまった自爆テロのような事件に対して、犯人にかける言葉は怒りを込めて「死にたいなら一人で死ね」という冷酷な言葉になってしまっても、これは仕方ないことだろう。

 

しかし、

「社会を破壊する者をこれ以上、増やさないでほしい」

藤田さんのこの言葉は、日本中の誰もが願うところではないだろうか。

 

マスコミは、今回の事件の犯人について「ひきこもり傾向があった」と報道している。

各局のこうした報道から、世間の注目は、「ひきこもり」にフォーカスし始めているように思える。

昨日の記事にも書いたが、「ひきこもりが今回の事件を起こしやすい」という偏見を持たせるような報道はやめてほしいと願う。

これに関しては、テレビの有識者やコメンテーターも本当に慎重なコメントをしていただきたい。

 

8050問題「中高年のひきこもり」に世間が注目することは、悪いことではないと思う。

なぜなら、日本には61万人の中高年ひきこもり(40〜64歳)がいるからだ。

大半のひきこもりは「このままじゃダメだ。なんとかしなくてはいけない」という意識を持っているだろう。

それでも、誰かに会いたくない、社会に参画したくない。

いや、できないのである。

だから、しょうがなく、ひきこもっている人が多い。

こういう人たちをどうするのか?

 

僕が、知っているひきこもりは二人いる。

知っていると言っても、知人の知人の息子だけど。

 

Aさんの場合

Aさんは、両親が小学校の校長先生の家に生まれた。

小学校、中学校、高校、大学ともに優秀な成績で卒業し、市役所職員となった。

上司とのトラブルから、市役所を退職。

その後、25歳で引きこもりの生活を始める。

東日本大震災の時でさえ、部屋から一歩も出なかったらしい。

 

Bさんの場合

Bさんも、父親が高校の校長先生、母親はボランティア団体の会長という地域では地位のある職業の親だった。

お姉さんは、ジャーナリストで、親戚は東大卒。

Bさんは、家族や親戚ほど勉強ができた訳ではなく、親戚が集まるたびに肩身の狭い立場でいたらしい。

そんなBさんも無事就職したのだが、35歳の時に職場でのトラブルから退職。

現在は10年ほど引きこもっている。

Bさんが、特徴的なのは、パソコンもスマホも持っていないところ。

つまり、誰とも連絡をとっていないし、ネットから情報を得ることも発信することもないようだ。

社会との接点を自ら断絶している点だ。

 

僕は、彼らの自尊心を傷つけることなく、社会との接点を持たせることが大切だと思う。

上手に仲間を見つけていけるようなサポートだ。

妙案は浮かばないけど。

多様性、多様性、と社会で叫ぶならば、「ひきこもっていてもOKだ」という社会全体の受け入れが必要だ。

偏見ではなく、受け入れる社会だ。

そして、ひきこもりをしている本人自体も、ひきこもっていることを受け入れ、そこからどうするかを考えること。

思考停止するのではなく、自分で考えること。

それを発信していくことが大切なのではないだろうか。

ブログでもいいし、YouTubeでもVチューバーでもいい。

 

そもそも、この「ひきこもり」というネーミングが良くない。

響きもよくないし、イメージが悪い。

なんだろうなあ、例えば「ミニマリスト」みたいなちょっとした時代の先をいっている感じのネーミングではどうだろうか。

「ひきこもり」ではなくて「ヒキコモリスト」

「ヒキコモラー」とか。

もっと上級のイメージにしたら、「孤独の達人」略して「コドタツ」とか。

カタカナにしてみると、なんかオシャレな感じがする。

これなら、少しは自尊心を傷つけなくてすむのではないか。

 

「働き方が多様化している」のは本当か?

働き方が多様化している、とはよく聞くフレーズだ。

しかし、実際はどうだろうか。

多様化している働き方を享受できているのは、ほんの一部の人たちだけじゃないだろうか。

仕事場所を選ばないリモートワーカー。

そのリモートワークをできている人など、まだまだ数少ない。

働いている人の99%は、満員電車に揺られ、会社で仕事をしているだろう。

まだまだそんな世の中だ。

ひきこもりは、外に出て働くことができない人がほとんどだ。

ならば、家の中で可能な仕事を創出してやらないとダメだと思う。

難しいことだと思う。

 

この世は今現在、資本主義経済だ。

その中で生きていくためには精神的にも体力的にもタフじゃないといけない。

テレビやネットのニュースでは、ファーウェイだ、Googleだ、アメリカだ、中国だっていう貿易戦争ばかりを目の当たりにする。

ニートは競争社会についていけない。

日本には、分かっているだけで61万人が社会参加していない。

この数字は、40歳〜64歳であって、それ以下の数字、いわゆるニートを含めたら100万人はいるだろう。

100万人といったら、宮城県仙台市に匹敵する人口である。

ひきこもり(ニート含む)だけ集めたら100万人の都市が出来上がるってことだ。

 

ニートはニートでがんばらなければいけない。

「がんばれ」と言ってはいけないらしいが、あえて言う。

ガンバレ!

でも、社会がもっとニートを受け入れる体制を作らねばならない。

それは、国もそうだし、企業も努力すべきだ。

 

日本国が、今解決しなければいけないのは、人口減少問題と8050問題だ。

2020オリンピックよりも最重要課題である。

「富国強兵」といえば、戦争用語になるが、国を強くするためにはやはり人であり、何よりも人が大切だ。

 

僕には、到底解決できそうもない大きな問題だけど、何かを書かずにいられなかった。

最後に、森山直太朗の「諸君」で締めくくりたい。


森山直太朗 - 諸君