
夕方、妻は怒っていた。
理由は、息子が鼻クソをほじって、食べていたから。
なぜ、子どもは鼻クソをほじくって、食べるのだろう?
僕には、鼻クソをほじって食べた記憶がない。
食べていたのかもしれない。
今となっては、わからない。
妻は息子に言った。
「今日から、1週間ゲーム禁止!」
息子は泣いた。
ずっと泣いている。
妻は、聞いた。
「なんで、鼻クソを食べるの?」
息子は答えた。
「腹が減ったから」
妻は呆然としたらしい。
僕にとってはどうでもいい。
どうでもいい話だ。
でも、僕なりに考えた。
なんで、鼻クソを息子が食べたのか?
妻に、僕の見解を妻に説明した。
もしかしたら、子供のころの鼻クソはうまいのかもしれない。
鼻クソは美味いという味覚があるのかもしれない。
妻は納得していなかった。
僕は、さらに考えた。
鼻クソはそんなに汚いものか?
汚いとしたら、どれぐらい汚いものか?
僕は結論を出した。
鼻クソは3番めに汚いものであるということを。
妻に問うた。
うんこよりもおしっこをかけられたほうがマシじゃないか?
おしっこよりも鼻クソをつけられたほうがマシじゃないか?
妻は、グーの音も出ない。
汚い順番は、
- うんこ
- おしっこ
- 鼻クソ
妻は、鼻クソは3番目に汚いものであることを認識してくれた。
納得はしてないようだ。
人間は自分の体内にあるときは、うんこもおしっこも鼻クソも汚いとは思わない。
しかし、自分の体から出てしまった瞬間、それは汚いものに変わる。
これは、不思議。
どの瞬間から、自分の一部が汚いものに変わってしまうんだろう?
そんなことを、森山直太朗の歌から学んだ夜だった。
うんこ ‐ 森山直太朗